わたしの中の私も、わたし。
こんにちは。
あおましいろです。
先日、お皿が欲しくなりました、というお話をしました。
あおましいろ、まだお皿を彫っています(笑)。

それでは意味がない、とわたしの中の私がつぶやいた。

最近、お皿を彫るのは、もっぱら玄関です。
木くずが落ちても気にならないし、
なんとなくいい高さの簡易作業台があるし、
日当たりがいいし(*´▽`*)
木でお皿を彫っているところ。
ある時、旦那氏がうしろから覗き込んで珍しく、
「おもしろそうなこと、しとんな」
と言いました。
「俺もやったら、ハマりそうやな」
「いつできあがるかわからんけどねぇ」
とはあおましいろ。
すると、
「何をつくってんの」
「(わからずに「はまりそう」とか言うてから(呆))皿よ、お皿。
大きなお皿を彫っています。」
「ぅお、俺なら道具買いに走るわ」
「道具?どんな?」
「なんかドリルのパーツ。(木を)削れそうなやつ」
「ふ~ん」
それでは意味がない。
〇あるものを使って、あるものを活かしたい。
端材があります。
譲り受けた道具があります。
そういえば、お皿が欲しいです。
でも、使えるお皿がまだあるし。
買い替えるまでの決心もつかないわぁ。
作ってみるか。
こういう思考回路。
お皿を「早く」つくりたいわけではないのです。
お皿を「きれいに」つくるのは、あまり意識していません。
むしろ、あるものでできあがるのは、どんなものだろうかと楽しみですらあります。
実用的なものになるか、に至っては二の次くらいの勢いです。
だから、わたしの中の私がつぶやきました。

いつも、姿勢を正してくれる人。

でも。
「俺なら、道具買いに走るわ」
じわ
じわじわ・・・
と、効いてくるこのひとこと。
ちゃんと、「つくる」ことは認めてくれているんです。
「皿、買ってきた方が早いんちゃう」
とは、言わない。
あおましいろが「つくる」ことに救われてきたことを、
だれよりも見てきてくれた人です。
でも同時に、
思い込みやすくて、
のめりこみやすくて、
前のめりになりやすくて、
結果的に自分で自分を苦しめやすいあおましいろのことを、
だれより知っている人でもあります。
本人は、何の気なしに言ったことかもしれません。
でも、
「俺は、こう思う」
いつもそういう言い方で、
「他の見え方もあるで」
と。
あおましいろの姿勢を正してくれるのです。

「どうしようもなく、こうすることしかできない」という生き方で。

それでもきっと、時間が経てばまた思いつめているし、
のめりこんでいるし、前のめりになっているんだと思います。
思いつめることが、
のめりこむことが、
前のめりになることが、
いいとか、悪いとかいうことではなく。
あおましいろは、どうしようもなく、こういう生き方しかできないのです。
開き直って、
思いつめて、
のめりこんで、
前のめりに生きていくのです。
うまくいかないことにいら立って、
自分を責めたり、親のせいにしたり、他人のせいにしたりして、
「こんなはずじゃない、もっとわたしはうまくやれるはず」
「うまくやれれば、きっと『なにか』になれるはず」
そうやってあがいてきたけれど。
やっと、「こうすることしかできないという生き方」を、
受け入れる覚悟ができたような気がしているのです。

自分を苦しめることができるのも、自分しかいないのかもしれない。

こうすることしかできない、と思いつめれば、
また自分で自分を苦しめてしまうかもしれない。
それだけは、気をつけようと思っています。
色んな知識を意識的に取り入れることで、
ずいぶん緩和されたようには思っています。
だけど今回のことで改めて、身近にいるんだなぁと気がついたのです。
身近に、いてくれたのになぁ、って。
気がつくか、気がつかないか。
受け入れるのか、否か。
自分を苦しめずにすむのは、たったそれだけの差なのかもしれません。
これからは、知識だけじゃなく、
身近なペースメーカーの声をもっと聴いていけたら。
そう、思うのです。
最後まで読んでくださって、ありがとうございました。
次回も、つれづれと日々のことになりそうです。
あ、ちなみにお皿は本当にいつできるか分かりません(笑)。
頓挫しても、出来上がっても、ご報告しますね。
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