なんとなく心に浮かんだことが、大事なことだったりすること、ありませんか。

こんにちは。
あおましいろです。
倉敷いちむら 和菓子「お雛様ぎふと」
倉敷いちむら 節句の和菓子「お雛様ぎふと」

夢とうつつを行ったり来たりする朝の数分のこと。
頭の中に浮かんだのは、女の子を片腕に抱いて、反対の手にはベビーカーを抱えた女性が階段をのぼる姿でした。

ふと思い浮かんだ人

駅の階段をのぼる女性に声をかけたのは、女性よりも少し年上の女性。
女性の手からベビーカーをぐいっと取り上げて、

「あらっ!これ、すごく重いじゃない!」

あのね、抱え込まなくていいの。
世の中、優しくないかもしれないけど、あなたひとりがもたれかかったからって、ビクともするようなもんじゃないの。
だから、頼ればいいのよ。
自分の足で立っていることは、確かに大事なことだけど。
ちょっとくらい、もたれたって大丈夫。
大丈夫よ。

過去の自分

女性が抱いていたのは、歩くのが嫌いだった、確か当時2~3歳の長女。
何が起こるか予想しきれなくて、荷物でぱんぱんに膨らんだカバン。
そのカバンごと畳んだベビーカーの、ずしりと来る重み。
階段をのぼる女性は、過去のわたしでした。

実家の最寄り駅のホームには、当時まだエレベーターはありませんでした。
車のなかったわたしは、実家に帰る度に同じように長女とベビーカーを抱えて階段をのぼります。
なぜか、ヨタヨタしているように見られないように、必死に背筋を伸ばしていました。
何度目かのとき。
自分より年上の女性がベビーカーを持ってくれたことがあったのです。
「これ、重いじゃない!」
と驚かれたことに驚きました。

そこまでが、実際の記憶。

いまの自分

ある朝、ずっと忘れていたその時のことを思い出したのでした。
思い出したら、その女性の口を借りてたくさんの言葉が出てきました。
「大丈夫よ」
と。

そんなに、肩ひじ張らなくて大丈夫よ。
不安よね。そうね。
あなたひとりじゃないわよ。
大丈夫よ。
大丈夫。

使い古された言葉、だとも思いました。
過去の自分を見たら、いまのわたしはそう言いたいのだろうか・・・。
そんなことを思っていたら、いつの間にか泣いていました。
「大丈夫」
そう言ってほしいのは、いまの自分だったのです。

過去の自分もいまの自分

実は、ここ最近重要な選択をした、と思っています。
何かを選ぶのは、何かを選ばないことだという人もいます。
「選ばない」ことが、覚悟していた以上に自分を追い詰めていたように思います。
それも、じわじわと。
ゆっくりと。

「真綿で首を締める」
というのは、こういうことをいうのかしら、とちらと思いました。

「選ばない」ことに捉われると、選ばなかったものごとがまるで自分を責め立てているかのように思えてしまいます。
その思いは、気がつかないうちに自分をむしばんでしまうのかもしれません。
追い詰められていることに、気がついてよかったと思います。

何気なく思い出した、過去の自分の後ろ姿がなければ、もう一歩、またもう一歩と自分を追い詰めてしまっていたかもしれません。
思い出した情景は過去の出来事でも、その後ろ姿は「自分」。
過去もいまも関係なく、抱えがちで、不器用なくせに頼りべたで、思い込みが強いせいで「ひとより上手にできる」とすぐうぬぼれてしまう、変にプライドの高い自分なのでした。

夢うつつになんとなく心に浮かんだこと。
気がついてみると、とても大事なことを教えてくれたのでした。

「落ち込み」のしくみ

先日、いつも勉強させていただいている方から、
失敗してしまった大事な人に対して、たいていの人は「自分のせいでしょ、失敗して当然よ、バカね」とは言わない
と聞いて、確かに、と思いました。
同じく、その人が困難なことを前にして不安と恐れで動けなくなっているのを見て、「甘えんなよ、さっさとやれよこの野郎」とも言いません。
でも、自分には平気で言うんだそうです。

何を甘えてんだ、弱いな。
選んだのは自分だろ、責任感がないのかよ。
同じことをこなしている人はたくさんいるのに、何やってんだ、ダメなやつだな。

自分を貶める言葉は、いくらでも出てきます。
特に、
「甘えているんじゃないか」、「楽をしようとしているのではないか」、「逃げなのではないか」、「みんなと同じようにできない、情けない」・・・
この辺りは、わたし自身のレパートリーとしては上位に入ります。
何かがうまく行かないと感じるとき、「あれ、何もできていない」という思いが、徐々に自分を貶める言葉へと変化していきます。
そうして実は、「こんなにつらいことなのだから、やらなくていい」という免罪符を手に入れようとしているのかもしれない、と気がついたのでした。

セルフコンパッション

最近、タグにも使っている”セルフコンパッション”という考え方。
「ありのままの自分を受け入れる」ということなのだそうです。
難しく構えるよりもやってみようと思い、実践しています。
まだまだ勉強中ではあります。
でも、自分を責めたり、貶めたり、ののしるよりも、はるかに前に進めているという感触を持っています。
参考までに、実践中の方法をご紹介します。

〇自分の親友になる。
もしくは自分の大事な人が自分と同じ境遇にあるとしたら、どう声をかけるか、と考える。
人は、大事な誰かに対して厳しい言葉をかけたりしない、というお話をしました。
では、どんな風に声をかけるか?
「大丈夫、失敗だとしても学ぶことだってあるだろうし、次のチャレンジにつながるかもしれないよ」
とか、
「新しいことをする決断は、不安だし、怖いよな。誰でもそうだと思うよ。その決断をしたことがすごいことじゃないか」
など。

失敗したこと、不安で動けないこと、それ自体を受け止め、支持する言葉が出てきませんか?
わたしにとっての「親友」の立場にあたる人物が、今回は長女とベビーカーを抱えた過去の自分の姿だったのかな、と思います。

お断りしておくと、叱咤激励する方法を否定するわけではありません。
自分に当てはめると、目的が明確で、道のりが長くなく、進行具合の確認も容易、達成した時の報酬がモチベーションを維持できていれば、効果があると思っています。

ただ、わたしの場合、先が見えないとき、不安なとき、何もできないと感じるとき、成果が見えずに今の場所が不確かなとき、というのは、ありのままの状態を一度きちんと「それでいい、大丈夫」と受け止める方が、はるかに前に進みやすくなりました。

できない自分を受け入れる方が、できる自分になる近道なのかもしれない。
だとすれば、照れくさくても、恥ずかしくても、お尻がむずむずしても、自分の親友になってやろうと思うのでした。

一歩でも、1mmでも前に進むために。
自分からの罵倒が怖くて立ちすくむくらいなら、目標の十分の一しか進めないとしても、とことんおだてて甘やかして、前に進みたい今日この頃。

おまけ

倉敷いちむら 2月の和菓子「下萌え」
倉敷いちむら 2月の和菓子「下萌え」

白く積もった雪の合間から顔を見せる草花の下萌え。
雪を押しのける力強さだけを見ていた気がします。
けれど、そうではなく。
冬の間に蓄え、無理はせず、しかしまどろみつつも時期を計り、自分の力量を知って才能を信じる。
実は、そういうことなのかもしれません。

ひとりがたりを最後まで読んでくださって、ありがとうございます。
あまりやらないようにしているご報告のやり方だったのですが、「自分をいかす」という目線から、あえて思ったことをそのままご報告いたしました。

前回のご報告「一日いちかつ」同様、評判がよくないか、あおましいろが大いに照れて恥ずかしくなってしまったりしたら、なくなります(笑)。

次回、「一日いちかつ vol.2 ~サイズアウトの子ども服~」をご報告できればと思います。
よろしければ、お帰りはこちらから↓

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