3回に1回は、・・・あ、いえ5回、……10回に1回はうまくいくやつです←。
こんにちは。
あおましいろです。
新学期が始まりました。
長女も次女も無事登校できて、ほっとしています。
というのも、昨年中学入学後から、長女がやや学校に行きにくさを抱えておりまして。
結論 : 親は自分のケアをする
前置き、経緯すべてをすっとばして結論から言いますと、学校に子どもが行きにくくなったら、親は自分のケアをまずすることがものすごく大事。
子どものフォローとか、将来の心配とかは、とにかく横に置いておいて、今この瞬間、自分が自分のためにできることを片っ端からしてみるといいと思います。
- 自分は何をするのが好きだったか思い出す。
- 今、好きなことができているかを確認する。
- 好きなことができていなければ、好きなことをする。
- 疲れていれば休む。
- 自分をねぎらう。
- できたことを認める。
- できなかったことを許す。
- したくないことはやめる。
- やりたいことをする。
- 大の字に寝転がる。
- 目を閉じる。
- 耳栓してみる。
- 数分だけでも、何も考えない。
- しっかり息をする。
- 体のすみずみで息をする。
多分、ここに挙げたことであれば、すぐできると思います。
もちろん、公衆の面前で寝転がれませんし、したくないからといってお仕事を今やめます!という訳にはいきません。
でも食事の支度をちょっと遅らせたり、お風呂にゆっくり入ったり、食後のテレビの時間を上の項目をすることに当てたりすることはできるかも。
なぜ、子どものケアより親のケアなのか
問題(課題)をはき違えないため
もっと言うと、親の不安を子どもに押し付けない、ともいえるかもしれません。
学校に行けないと、子どもが不利益を被るのではないか・・・。
あるあるな心配です。
例にもれず、あおましいろもしっかりこの手の心配をしました。
で、あの手この手で学校に行けるようになるための策を講じます。
たいていの策は、功を奏しません。
あまりにつらそうな様子を前に、学校に行かずに様子を見る期間や、行きたくないなら行かなくていいよ、みたいな選択をするときがやってきます。
問題は、ここ。
学校に行かない子どもが、家にいます。
子どもが家にいて、何をしているか。
気にしなくてすむなら、それがいいのかもしれません。
ですが、あおましいろはお仕事も辞め、家にいます。
しかも、子どものことがめっちゃ心配で、気がかりです。
家での過ごし方、めっちゃ気になります。
- 一日中、動画配信を見たり、ゲームをしたりしている
→勉強の遅れが子どもの不利益になるのではないか - だらだらして活気がない
→何か楽しめること、好きなことを見つけてやらないといけないのではないか - 気がつくと寝ている
→同年代の子が経験することができないことで、将来子どもが困るのではないか
三つ目の項目なんて、ほぼもう脅迫観念ぽいです(汗)。
誰が困っているのか
困っているのは、親。
例えば、明確な理由が説明できない場合や、解決策を講じても行きたくない理由が解消できないケースについて。
子どもが学校に行きたくなくて、行かない、という選択をできている限り、子どもはとりあえず困っていないと思われます。
学校に行けない理由が、友達・教師との関係(いじめなども含めて)だったり、学習自体のしんどさ(発達障害なども含めて)だったりする場合。
中には関係調整や環境整備で、行けない理由が解消できることはあると思います。
そういう類の子ども自身の困り感なのであれば、もちろん解決してあげたいと思います。
ですが、策を講じても学校に行きたくない理由が解消できない場合については、ひとまず学校に行かないことが子どもにとっての解決策と言えます。
もちろん、行かないといけないと言われている場所へ行っていない自分のことを、まるっとオッケーと言える子どもさんは少ないようには思います。
学校に行っていない自分に対して、不安感ももどかしさも、もしかしたら罪悪感すら感じているかもしれません。
ただ、もし子ども自身が自分にネガティブな感情を持っているとしたら、もしかするとそれは、大人の心配や不安、こうあるべきと押し付けた価値観がそうさせているのかもしれない、とそんな風にも思うようになりました。
なぜなら、子どもが学校に行かない、行けないことで困っているのは、子どもだけではなく親もだから。
悪いことには、親は、親自身の困り感を子どもの困り感と混同させてしまいがち、と気がついたのです。
誰が、困っているのか。
子どもなのか、それとも親なのか。
親だって、困っていい。困って、当り前。
大事な子どものことですもの。
でも、まぜこぜにしない。
親の問題を子どもの問題にしない。
反対に、子どもが引き受けるべき問題を親が横取りしない。
誰が、困っているのか。
誰が引き受ける問題なのか。
多分、これってとっても大事なのだと思うのです。
子どもに何か言う前に
- 「ゲームばっかりして!」
→子どもばっかり見てないで、自分が好きなことに没頭してみる - 「ゴロゴロしてないで、運動するか勉強するか、手伝いするか、何かしなさいよ」
→自分が運動する、やりたかった勉強、趣味に時間を使う、やりたくない家事をやめて休む
子どもを見て文句が言いたくなるのは、うらやましいからだと思ってみる
とかく、何か成果が出るようなことや生活を回すために何かをしないといけないと思いがちな毎日です。
一日中、Huluを見て、うとうとして、ゲームをしようとする娘を見て、不安と心配が行き過ぎてイライラしていました。
一方で、自分がやりたいことをやって満足しているときは、子どものようすがあまり気にならないことにも気がつきました。
ふむ。
これは、心配というよりは、何もしなくていい子どものようすがうらやましいのではないかと(笑)。
大変乱暴な理屈です。
心配なのは本当ですし、先を見れば不安すぎます。
でも、じゃあ、このイライラや起こってもいない未来の不安や心配事を子どもにぶつければ解決するのかと言えば、全然そんなことはないわけで。
子どもに理不尽な発破かけや叱咤激励を浴びせるよりは、自分が自分のケアをしっかりした方が、結果的に子どもをもっと安心させてあげられるような声掛けや見守りや、注意喚起をしてあげられるのではないかと。
心配することを決める
じゃあ、子どものことを放っておいて、心配もせず、まるっと子どもに任せればいいじゃないか、という話です。
もちろん、ありだと思います。
が!
あおましいろは、ケツの穴の小さい人間←なので、そこまで思い切ることもできません。
なので、心配することを決めました。
- 生活リズムを崩さない。
昼夜逆転は許しませんえ! - 勉強はどんな形でもいいからする。
世の中、「義務教育」であるところの中学レベルの知識があることが前提で動いていることを知っておけ! - 早退しようが遅刻しようがかまわんので、学校に行くか行かないかは自分の意志で決める。
朝起きられなくてずるずる欠席は言語道断
玄関に出るところまで行ったけど動けなくなって欠席は極力避ける
※後半について、努力は認めるが、消耗が激しいわりにはあまり得られるものがないと思うので
こんな感じ。
十分、もりだくさんな気はしますが・・・。
しかも、まだあるなぁ←。
まあ、このあたりのことは、ご家庭によって違うと思うので、あくまであおましいろの場合と思っていただければと思います。
今回書き留めておきたかったのは、自分の不安や心配は、子どもに押し付けず自分で解消しようということ。
自分の問題と、子どもの困り感を混同しないようにすること。
でした。
本音を言えば、学校に行かなくたって勉強ができる環境が整いつつある今、学校になぜ行かなくてはいけないのか、学校で何を学べばいいのか、大人があらためて考えないといけないんじゃないかなぁと思っています。
集団生活のルールや協同作業を教えたいなら、もっと子ども主導にするべきだし、発達障害や学習障害、HPC他、これだけ多様性があるなかで、同じ教室で同じスタイルで同じ時間だけ授業を受けないといけないことの意味はもはやないような気がします。
長女がしんどさを訴えるのは、先生の顔色をうかがうこと、機嫌に付き合わされること、高圧的な脅し文句のような物言い、不必要にあおられる将来への不安や評価されることへの恐怖、やりたくないと言っている同級生がグループワークで成果を出さないときに負わされる連帯責任など・・・
人生、自分のペースで、自分の思うようには進まないものですが、今あげたようなことをわざわざ義務教育で味わう必要があるのかな、と。
もっと安心して失敗して、失敗から学べるといいのになぁ。
まぁ、こんなところでつぶやいてないで、アクションが起こせるのがいいのですけども。
何ができるかなぁ。
そう思うと、やっぱり我が子のところに戻ってきてしまいます。
あなたらしく、いてほしい。
どうか、親であるわたし自身が、それを邪魔せずにすみますように。
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