こんにちは。あおましいろです。
以前から、ちょっと自分でもひくくらい、「怒り」に悩まされていました。
それが、自分でもおどろくぐらい楽になったんです。
楽になった理由を少し、残しておこうかと。
あふれる怒りの正体
結論
怒りの正体 = 子どものころの傷ついた記憶 = 父親への怒り
結論からいうと、泉のように湧き出ていた怒りの正体は、あおましいろの父親に対する怒りでした。
10歳のころ、両親が離婚したあおましいろんち。
母親が、あおましいろたちきょうだい三人を育ててくれました。
母親の名誉のためにいうと、本当に見事に育ててくれたと思います。あおましいろと弟は、大学も行きました。
なので、これは母親に対する不満ではありません。
仕事に忙しい母親の代わりに、長女としていくらかの家事を担ったり、きょうだいの世話をしてみたり。
大人からすればつたないものだったと思いますが、元来器用でもなく、要領も良くないあおましいろです。
子どもなりに、一生懸命だったんじゃないかなぁ。
しかも、家事や世話をすれば、おとながほめてくれるので、「しんどいけど、やったらほめてもらえる」と、思い込みを刷り込む結果にもなったような。
それ以前に、子どもなので当時は何もわからず、「やらない選択肢」は思い浮かびませんでした。
少々周りが見えるころになっても、しんどいと言えず。
それでも高校2年生のとき、「家のことをするから、学校を辞めたい」と母親に口走ったことを覚えています。
けっして、家事を押しつけられていたわけではありません。
母親は十分以上にしてくれていましたが、いつしか「母親を助けるためにわたしが家事をしなくてはいけない」という思い込みだけがあおましいろのなかで大きくなっていたのだと思います。
それでも、しんどさが怒りになることはありませんでした。
「怒り」に変わりはじめたのは、出産後。
怒りの対象は、旦那氏でした。
「なんでわたしばっかり」
そんなつぶやきが、少しずつ少しずつ吹き溜まった結果が、起こっていないことまで妄想して怒り、感情をこじらせてしまう自分自身の姿だったのでした。
結論にたどりつくまで
過去にも怒りに関する投稿をしたことがあります。
その頃から自分の怒りが普通じゃない自覚はありました。
自分なりに解決策を探りましたが、結局ぶり返します。
そんななかで出会ったのがコーチング。
もしかするとコーチングというのは、目標達成に向けて受けたりするものなのかもしれません。
が、あおましいろが出会ったコーチは、がっつり傾聴のうえ、あおましいろ自身が結論にたどりつくまでひたすら伴走してくれるひとだったんです。
カウンセリングとも、また違う。
何かを目標にすえるわけでもなく、そのときに気になることを話しては、思いもよらない角度からの質問にこたえるうちに、気がつけば、ひとりではできなかった深掘りをしている。
そんなコーチングです。
怒りに苛まれることが標準装備のあおましいろですから、何度か怒りがテーマになることも多かったある日、それはやってきました。
ある日突然、見えたのは
旦那氏への怒りが、家事や育児に関することから発生するにもかかわらず、家事や育児の役割分担が解決策とも思えなかったあおましいろ。
コーチングを受けるうちに、「好きでもなく、やりたくもない家事をいやいやながらにする」ことがあおましいろの家事のスタイルになってしまっていることに気がつきます。
もちろん、喜びを感じることも、やってあげたいと思うこともあります。
ただ、旦那氏への怒りのもとは、「なんでわたしばっかり」から発生するのです。
なぜなのか?
やりたくないなら、やらなければいい。それだけなのに。
そこで、過去に立ち返ります。
「母親が働いてくれているから、少しでも楽になるよう家事を手伝わないといけない(でも、本当はしたくない、しんどい)」
「自分のことだけしたい。でも、家事もきょうだいのこともしないわけにはいかない(それにいつもしているわけでもないのに、いやがるなんてダメよな)」
「父親がいたら、母親はこんなにつらくなくて、しんどくなくて、わたしもやらなくてよかったかもしれない」
そんなことを思っていた、記憶に埋もれかけていた自分があらためて掘り起こされていきました。
一度のコーチングでたどりついたわけではなく、まったく別の話題が絡み合い、ある日突然、視界がひらけたように気がついたのが、
「ただ、一緒にいたかったんだ」
ということ。
何でもいい。ただ、家族で一緒にいたかったんだ。
父親さえいてくれれば、母親は苦労しなくてよかったかもしれないという子どもの頃の思いは、いつしかあおましいろのなかの「正解」になっていました。
だから、父親であるところの旦那氏がいれば、あおましいろは家事をいやいやする必要もなく、育児と仕事に追われてしんどくもならないはず。
それなのに、どうしてしんどいんだろう。どうして、わたしばっかりがしているんだろう。
「父親と母親が一緒にいれば、わたしはがんばらなくていいはずなのに」
「ただ、一緒にいたかっただけなのに」
・・・そうか、一緒にいたかっただけだったんだ。
ここに来て、あおましいろが旦那氏に向けていた怒りは、父親に向けたかったものだと急に腑に落ちたのでした。
そして、父親への怒りは、父親がいない事実に傷ついた子どものころのさみしさや心細さの裏返しだったことも。
怒りの正体がわかったら、怒らなくてすむようになった
旦那は父親じゃない
自分の怒りの矛先が、父親だったと気がついたら、あんなに膨れ上がっていた「怒り」が旦那氏に向かわなくなりました。
そりゃそうだ。旦那氏は父親じゃありませんもの。
もちろん、腹が立つことはありますが、かえって「腹が立つ」と伝えやすくなって驚いています。
今までは、怒りが普通じゃないと自覚していた分、そのまま旦那氏にぶつけてもいいことにはならないと思っていた気がします。
自分の感情が伝えやすくなった理由は、あおましいろが勝手に思い込んでいた「正解」がなくなったのが大きいかと。
正解には根拠が必要ですが、あおましいろの正解はただの思い込みでしたから、根拠もありません。
伝えようがなかったわけです。
でも、正解がなくなったおかげで、感情だけがシンプルに扱えるようになったような。
「わたしは腹が立っている」
ただ、それだけ。
それを聞いた旦那氏がどう感じるかは、もう旦那氏の領域です。
感情はいずれ薄れますから、気がつくと忘れて普段通りふるまえるようになりました。
・・・それまでは、妄想で怒ってましたから、怒りを引きずるどころか再生産しながらずいぶん腹のなかでぐつぐつ煮てたわけですよ・・・。
でも、手前勝手な理屈を説明できないから、伝えられない。
いや、伝えようとしたこともありましたが、「これが正解でしょ!」といったところで、まったく違う家族、習慣、環境で生きてきた旦那氏に心底分かってもらえるはずもなく。
伝えられないから、発散できない。
何とかなだめたところで、火だねは残ったままなので、ちょっとしたことで再発火して・・・の悪循環。
ずいぶん、長いこと、しんどかったなぁ~と思います。
思い込みを解いていく
「自分が思い込んでいた『正解』があった」と言いました。
それは、「母親を助けるために自分が家事をしなくてはいけない」だけではなかったなぁと思います。
ほかにも
「女性が家事を担うもの」
という、本当にどこの誰が植え付けてくれたのかわからない空恐ろしい類の思い込みもあれば、離婚を経験して、女性が経済的に自立することの大変さを人生全部で味わってきた母親から、
「大学を出て、就労しつづけなければいけない」
と言い続けられて刷り込まれたものもあります。
どちらも、あおましいろを苦しめてきた、「思い込んだ正解」でした。
そもそも正解はない
そんな自分の中の「思い込んだ正解」の存在に気がついたのは、子どもたちが学校に行きにくくなったできごとが大きかったと思います。
センシティブな長女がいつか「学校に行きたくない」と言い始めるんじゃないかとどこかで思いつつ、実際に言い始めてから裕に一年半も登校干渉を続けてしまったのは、やっぱりどこかに「学校は行くもの、行くのが正解」と思い込んでいたからかと。
さらには「親は子どもを立派に育てなければいけない」のように、「子どもの成長は親の責任」という、ある意味ではその通りでも、解釈が行き過ぎて子ども自身をコントロールしてしまいかねない、歪んだ認知もあったと思います。
結論に飛びますが、正しいか間違っているかの二者択一的な価値観は、本当に、怖い。
そもそも、ひと一人の人生やあり方に、正解もクソもないんです。
おわりに
ここ一年で、自分のなかの「思い込み」や「勝手な正解」とずいぶん向きあえたなぁと思っています。
思い込みが解けたもの、なかなか根深いもの、いろいろありますが、楽になりました。
正しいと思っていたことが実はそうじゃなかったという体験は、結構な価値観の崩壊ですが、手放してみるとこれが実に爽快。
もしも、「相手がわかってくれない」、「思い通りにならない」と怒りが湧くことがあれば、自分が握りしめてしまっている思い込みがないか、ちょっと探してみてください。
これかな?と思うものが見つかるかもしれないし、見つからないかもしれませんが、見つかったら「ほんまにそう?」と聞いてみる。
やっぱりそれが正しいと思えても、もう一声。
「何が自分にそう思わせているのか」と立ち止まってみる。
おすすめです。
とはいえ、立ち止まろうかと思いつく間もなく、日々が過ぎていきますね~。
「そんなに怒って、どこ行くの?」
一年前の自分に聞いてみたい(笑)。
生真面目なところがあるあおましいろは、多分、怒りを両腕に抱えながらピタッと立ち止まって、
「どこに行くんだろう・・・?」
と真剣に悩みだすことでしょう(笑)。
怒りを抱えながらでも、ここまで来ました。
長い長い一年。ほんま、三年分くらいのことに、自分から取り組んだと思います。
この場に残せていないことがたくさんあるので、少しずつ残していこうかと。
その前に、みなさま。
たまには寝坊して、あったかい飲み物飲んで、一点を見つめてぼ~っとしましょう。
いつもお疲れ様です。
最後まで読んでくださってありがとうございます。
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