子どもの成長に合わせて、親も成長したいです。


こんにちは。

あおましいろです。


少し前に、子どもに文句を言いたくなったら、自分をちゃんとケアしようと思います、という記事を書きました。

大人の不安と子どもの困りごとを一緒くたにしないようにしたいな、という心持のお話でした。

子どものためって言いたくないなと思った理由

とある日の美観地区倉敷川 船頭の時間
とある日の美観地区倉敷川 船頭の時間
  1. それってホントに子どものためなん?
  2. 何かをやらないことの言い訳になってない?
  3. 育てたいん?服従させたいん?

それってホントに子どものためなん?

子どものために、というよりも、(子どもの)将来のために、って言い換えた方がいいかもしれません。

この子の将来のために・・・という大義名分であれこれ考えてしまうことがよくありました。

結婚当初に住んでいた2LDKの賃貸。
もしも家を買うなら、子どもが小学校に上がる前に居住地を決めてやったほうが、この子の将来のためにはいいんじゃないか。

まぁ、まぁまぁまぁ・・・。

この時点で子どもに実害はないですから、まだいいほうかなぁ。

でもそれってほんとに子どものためなん?

大人の生活設計を考えるとき、子どものことも含めて考えることは必須でも、それを大義名分にするのって危険なんだなぁと、最近思います。

大人が、大人の都合で、希望で、決めたことが、結果子どものためになるのかならないのか。

あるいは、二者択一で迷うときの決め手が子どもにとってどうなのか、という目線である方が、よっぽど子どもの精神衛生上にはいい気がします。

極論的だとは思いますけどもね。

例2

性格的に塾にはなじみそうにないけど、勉強のことを考えたらこの子のために進〇ゼミは続けてやってた方がいいかなぁ。

そろそろ怪しいです。

っていうか、子どもが喜んで〇研ゼミやってないんなら、別にやめりゃいいんです。

続けておきたいのは、あおましいろが安心したいから。

してやってるという状況を保険にしたいから。

一応、子どもに確認はして、子どももつい「やる」って言ってしまって、結局やらんから、「あんた、やるって言ったやろ!」みたいなことが勃発する。

子どもが手をつけてないことが、答え。

なら、進研〇ミはやめておいて、したいといえば復活させる。

それでいいはず。

ちなみに、あおましいろは進研ゼ〇続けてます←。

理由は、親の自分が環境を整えておいてやりたいと思うから。

自分自身の希望だということを、ちゃんと認識できたので。

子どもがしようがしまいが、いいと思っています。(今は)

もし、知りたいことがあって、やりたい気持ちが盛り上がって、その時に手近にあった進研ゼミで子どもが満足する、っていう日が一日でもあればめっけもんだと思っています。(今は)←

何かをやらないことの言い訳になってないか

子どもが小さいときって、どんなにおしゃれなカフェでお茶したかろうと、ひとり時間を悠々と過ごしたかろうと、無理なことってあります。

誰が何と言おうとあります。

無理なものは、無理です。

でも、気がつくと子どもはひとりで自分のことができるお年頃になってたりします。

自分のことは、自分で決められるし、決める必要があります。

時には、自分の選択で失敗して、悔しい思いも経験しないといけなかったりします。

当然、四六時中そばにいる必要性は下がってきています。

でも、子どもが小さい頃の、あおましいろの習性がなかなか抜けきれていなかったなぁと思います。

子どもがひとりで悩む姿を見て、何とかしてやらないと、と思う。

そのため、自分がやりたいことを後回しにして、子どもにかまう。

危険を退ける、というような場面的な対処ではないので、当然すぐ結果が出るわけもなく。

ああすればいいのに、こうすればいいのに、という「あおましいろの勝手な問題認識による、勝手な解決策」を思い描き、あるいは押し付け、その通りにしない子どもにイライラする。

・・・どんどん情けない気分になってきますね(汗)。

赤裸々に書いているつもりなので、どなたかおひとりでも共感してくださると救われます(笑)。

結局、自分の時間を自分が勝手に犠牲にして、やりたいことができない状況を嘆く、怒る、悔やむんです。

それって、なんだ?

もちろん、子どものことをしっかり見守ることの大切さは言うに及びません。

でももう、あおましいろが全部を引き受けないといけない歳ではありません。

そもそも、衣食住が整えられ、安全が確保されていれば、子どもの成長に大人が引き受けるべきところなんて、ほとんどないのかもしれないなぁと、思ったりしています。

だから、自分のやりたいことを、子どものせいにして、子どもを言い訳にしてやめない。

やりたいなら、やる。

やらないのなら、それは自分が決めたことだと肝に銘じる。

育てたいのか、服従させたいのか

自分の子どもの頃のことを振り返ってみると、当時もやっぱり大人が「こうしたほうがいい、こうしろ」と行先を決めてくれることが多かったと思います。

あおましいろの場合は、大学を出るだけでその先が変わるのだから、必ずどこでもいいから大学に行きなさい、と言われたものでした。

あおましいろはひとり親で育ちました。

なので、母親とすれば、経済的な自立は女性としての自分を守る重要項目で、そのために大学卒業は必須だったと言えます。

母親は間違っていなかったと思います。

ただ、母の言うとおりにしたことで、どんなに有利な道を歩めているとしても、やっぱり理屈とは違う部分で、自分の選択ではなかったという子どもっぽい感情がくすぶっているのは、事実だったりします。恥ずかしながら、ね。

一方、高校時代にバレー部で汗を流し、結婚、出産後も社会人バレーを楽しんでいた母親が、あおましいろの部活動について、

「ママさんバレーはあるけど、ママさんバスケはないから、バレー部にしなさい」

と言ったときは、全力であらがいましたけどね(笑)。

明らかに、「そんなのこの先わかんないじゃん!」てことが言えたから。

現に、あおましいろが大人になるころには、ばっちり社会人バスケ部もありました。

結局、自分自身が歩んできて「よかった」と思う道が、すべからく子どもに適用されるかと言えば、そんなことはないわけで。

特に、ここ数年の変化たるや、あおましいろの子どもの頃の比ではありません。

はっきり言って、今やってることをそのままやってていいのかすら、分からない時代だと思います。

そんな、先の見えない未来について、何が言えるはずもなく。

加えて、仮にあおましいろが子どもに何かを強要して、子どもがそれに従ったとして、あおましいろは何を得るんでしょう。

子どもは何を得るんでしょう。

子離れの準備

とある日の鞆の浦 常夜燈
とある日の鞆の浦 常夜燈

妊娠・出産、怒涛の育児体験がひと段落して

個人差はあると思いますが、あおましいろにとって、妊娠・出産、育児は、常に心配と不安を心の通奏低音にして過ごす経験でした。

現在進行形でもあります。

もちろん、喜びも、楽しみも幸福も感じます。満載です。

ただ、体調を心配し、発達を心配し、命の無事をひたすら祈れば、それをおびやかすものに不安を感じずにはいられません。

その心配や不安を少しでも解消するためにすること。

それが自分を犠牲にすることでした。

子どもの衣食住を確保するために、自分の衣食住を犠牲にする。

別にそうなりたくてなるわけではありません。ナチュラルにそうせざるを得ない感じです。

三時間おきにミルク、おむつ、寝かしつけ・・・。とか。

そうしていつのまにか身についてしまった自己犠牲グセ。

自分のことをする前に、子どもを優先するシステム。

もう一度、個人差はあると思うことはお断りしておくのですが、心当たり、ありませんか?

親ソフトのアップデート

さてでは、その自己犠牲グセや子ども優先システム、いつまで発動しておけばいいのか。

その答えが、あおましいろにとっては、今でした。

遅いでしょうか?

それとも、早くて薄情で、冷たいでしょうか?

それこそ、個人差や親子関係によると思います。

あおましいろが言いたいのは、決して、子どもをほったらかしにすることではありません。

子どもを危険から守るために発動させていたアプリを、アップデートさせるということ。

危険感知レベルを下げ、項目を精査し、子どもの領域とあおましいろの領域を仮決めでいいので、分けてみること。

そして、改めて親として責任を果たす覚悟を決めることでした。

親はいったい、誰に評価されるのか

あおましいろは、どうしてだか良妻賢母でないといけないと思っていました。

くじけたくても、弱音を吐きたくても、あるいは子どもは子どもらしくあればいいと思おうとすると、

ダメな親だと思われるかもしれない

という強迫的な感情に襲われることがしばしばあったのです。

原因は多分いろいろです。性格、環境、生育歴、経験値・・・。

そんなことはどうでもいいのですが、つまるところ、子どもに何かあったら(子ども自身の失敗も含む)、母親のせいにされる、という刷り込みがあったのだと思います。

それは、メンタルの調子をくずすまで付きまといました。

40歳を超えて、ありがたくも、子どもが大きくなってきてくれているようすを見るにつけ、親の責任をはき違えていたなぁと思います。

親の責任という以前に、ただ責められたくなかっただけですね。

今は、何があっても、どうなっても、お尻はちゃんと支えてあげるので、安心して進みたいほうに進みなさい、という気持ちです。やっと、なんですかね(汗)。

前に立って歩かないので、そこに自分自身の経験をはさむ余地はまったくなく。

強要して無理やりやらせたりしないので、導き間違う心配もなく。

結果的に、とても気持ちが楽になりました。

もしかすると、ちゃんと導かなかったから子どもが失敗した、と将来言われるかもしれません。

でもそれって、導くどころか子どもの尻を支えるポジションにすらいない他の大人から言われたって、痛くもかゆくもないわけで。

もし、責任を感じるとしたら、同じことを子どもに言われたときだけだと思っています。

おわりに

そもそも、なぜこんな話をしているのか。

実は、そこをこそ、このブログで書くべきなのかをずっと迷っています。

とはいえ、先のご報告で少し触れているので、察しのいいかたは承知してくださっていると思います。

簡潔に言えば、長女が学校に行きにくくなっています。

あおましいろは、「不登校」という言葉をつかわず、子どもが安心して自分を育てられる場所づくり、学校以外で勉強できる選択肢の確保に向けて、動いていきたいな、という新しい目的を持つに至りました。

不登校とは関係なく、親子関係や親として気づいたことを伝えたいと思っているので、できるだけ、不登校という言葉をつかいたくないと思っています。

ただ、もしも同じ境遇にあるかたと少しでも共有できることがあればという気持ちはありますので、タグには明記するつもりです。

もう少し、頭の整理ができれば、検索にかかりやすくするためにタイトルにも使用するかもしれません。

どうか、のぞいてくださったみなさまには、あまり気負わず、あおましいろの変化(成長ならなおいい)や、迷いや奮闘や前のめり加減をヒヤヒヤしながら←見守っていただけたらと思います(笑)。

最後まで読んでくださってありがとうございます。

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