2022年、どんな一年でしたか。
こんにちは。
あおましいろです。
▼11月に生活全般を振り返ったときのお話がこちら
整った家でやすらぐ暮らし、というタイトル←をもとに立てていた目標を、見直してみたという内容です。
今回は、もっとあおましいろ自身の内面の動きについて振り返ってみようかと。
か~ら~の~、2023年になればいいなと思います。
子どもの学校への行きにくさのこと
- 学校への行きにくさについて
ここでは、「不登校」のことを「学校への行きにくさ」と表現します。
不登校という言い方に、あおましいろ自身がどうしてもネガティブなイメージを持ってしまうためです。
あらためてになりますが、中学生の長女は学校に行っていません。
完全に休むようになって、4カ月ほど経ちました。
完全に休むようになった理由はいろいろとあると思いますが、ひとつにはあおましいろが登校干渉を完全にやめたことも関係していると思います。
登校干渉していなければ、とっくに行かない状態になっていたということかな。
それだけ、彼女にとって学校という場所は、「違う」場所なのかなぁと思っています。少なくとも、今は。
▲ちょうど二学期が始まったころのあおましいろの心境です。
この時以降、登校干渉をやめました。
子どもが学校に行かないというのは、行きたくなくても学校に行き、またそれが当たり前だと教えられてきた世代の人にとっては、不安と心配がタッグを組んで、波状攻撃を仕掛けてくるようなものです。
学校に行かないなんて、この子は将来どうなるんだろう・・・。
今思うと、「学校に行かないから」将来が心配なわけではないんですけどね。
学校に行こうが行くまいが、子どもの将来は心配です。
だって、親だもの。子どもの心配は標準装備です。
親は子どもの心配をする、それでいい。
ただ、
親の心配 ≠ 子どもの困りごと
大事なのは、コレだと思いました。
親の心配を解消するために、子どもに解決させようとしてはいけないんだな、と思っています。
でも、親は子どもの心配をするものですよね(二回言います)。心配しない親なんて、いない。
それでいいと思います。
ただ、子どもに押しつけない。
そのためにどうするか。
あおましいろが出した答えは、親が自分自身のケアをすること、大人が自分のやりたいことをちゃんとするということ、でした。
これが、先述の記事の結論です。
トーキョーコーヒー ~ 子どものメッセージを大人が本気で受け止めて教育に伝えていく活動のこと
〝トーキョーコーヒー〟は、登校拒否のアナグラム(文字を入れ替えてつくる言葉遊び)。
全国で学校を長期欠席する約41万人の子どもたちのアクションを受けて、
「問題は子どもの不登校ではなく、大人の無理解」という視点から教育を考え、学ぶ。
そして戦後から続く、子ども達を均質化する教育システムを塗り替え、アップデートする為のムーブメント。トーキョーコーヒーは世界一やさしい革命!
トーキョーコーヒー 公式ホームページより
トーキョーコーヒーとの出会い

トーキョーコーヒーのことを知ったのは、以前、職場で一緒に働いていた人と久しぶりに会ったときのこと。
ちょうど、長女の学校への行きにくさを受け止められるようになって、先ほどの記事を書き始めていた矢先のことでした。
彼女に長女のようすを話したところ、「興味あるんですよ~」と教えてくれたのが、トーキョーコーヒー。
奇しくも、あと数日でクラウドファンディングが終わろうかというタイミングです。
迷わず応援したのでした。
とにかく動き始めた9月、10月
トーキョーコーヒーが掲げてくれている内容は、「まずは大人が自分のことを大事にしないと」と思い始めていたあおましいろにとって、本当にピッタリな内容でした。
調べると、住んでいる近くにもトーキョーコーヒーを立ち上げようとしている人たちがいる!
そこから、トーキョーコーヒーがあると聞けば参加するように。
2022年9月30日は、なりふり構わずはじめましての人たちの輪に飛び込んだ、あおましいろの記念日です。
子どもの問題ではなく、大人のせいだとしたら
怒りの感情に苦しんだ10月
そうか、子どもじゃないんだ、自分なんだ。
そう気がついたとき、気持ちがとてもすっきりしたのを覚えています。
ところが。
自分なんだ、大人が変わらないとなんだ、と思うようになると、どうしようもない怒りにかられるようになってしまいました。
大人のせいで、子どもが苦しんでいる、と思えてしまうと、まわりの大人を動かしたくなります。
せめて知ってほしいと伝える言葉はなぜか上滑りして、どうにも伝わらない経験をしました。
それどころか登校干渉しないことを怠けのようにすら思われるということが起こりました。
腹が立つどころの騒ぎじゃない←。
でもね。
まずするのは、まわりを動かすことじゃなかったんだよね。今思えば。
我が子の一日一日が、自分を含めた大人の無理解で刻一刻と過ぎ去っていくことの焦燥感に苛まれて、自分の無力さの打ちのめされていたけれど。
それでも、まわりが動かないことを嘆く暇があるなら、自分ができることをするしか、なかったんだよねぇ。
そうして、自分ができることに胸を張っていさえいれば。
誰が認めてくれなくても自分の選択を尊重することができれば。
相手の選択を尊重することの意味と、やり方が見えてくるものなんだな、と。
そんなことに気がついた10月でした。
記事は11月末ですから、結局、腑に落ちるのにそれだけかかってますけども(笑)。
いつのまにかいろんなことが流れ始めた12月
怒りに向き合って、わかったこと
自分は自分、ひとはひと。
あきらめではなく、それぞれをちゃんと大事にして尊重できるという意味で、やっと自分とひととを区別することの意味と、やり方がわかったような気がしています。
すると、途端にいろんなことが動き始めました。
動き始めたこと
- コミュニティづくりにむけての準備
あれ?
まとめると、ひとつでした(笑)。
▼子どもの学校への行きにくさと、自分のことと、トーキョーコーヒーを混ぜ合わせたら、こんなん出ました。
過去にボランティアを経験した時に感じた思い、
大人が価値観をアップデートできるような安心できる環境やつながりが必要なんだという確信、
その二つが合わさって、自分でコミュニティをつくってみようという結論に至りました、という内容です。
コミュニティづくりのこと

では、自分でコミュニティをつくる意味は?
なんで、トーキョーコーヒーじゃないのか。
いろんなことを自分に問いかけてみました。
反対に、トーキョーコーヒーでないといけないのか?
自分の存在を認めてもらえたと思ったトーキョーコーヒーとの出会いでしたが、大事なことだからこそ、自分が本当にできるのかと確認してみたくて。
トーキョーコーヒーが、トーキョーコーヒーを掲げてやる意味は、「ムーヴメントを起こす」こと。
だから、トーキョーコーヒーでやる意味がある。
でも、その根っこはきっと、誰もが安心していられるただの居場所なんだろうなぁ。
あおましいろも、そんな場所がほしいなと思いました。
だから、コミュニティつくろう。
そんでもって、トーキョーコーヒーもやろう。です。
え?(笑)
うまく説明できません。
ただ、自分のための居場所が、だれかの居場所になれば、こんなに幸せなことはないし、そこであつまってくれたひとたちが、笑ってくれていたら。
生まれてきた意味が分かるのかもしれないなぁと思います。
はやくどこかへかえりたいと切望した場所が、もしかしたらそんなところなんじゃないかなぁと思い始めています。
知らんけど←。
2022年の漢字 ~ 繋(つながる)
そんなこんなで←。
来年も、コミュニティづくりをしていこうと思います。
ここに至るまで、本当に今年はいろんなことがつながった年でした。
ひととのつながりもそうですが、自分自身の経験がつながっていくような感覚が、とても不思議で、嬉しくて、感慨深かったです。
気がつくと、これまで点だったものがどんどんと結ばれていきます。
まるで、大きな流れが動き出したみたいでした。

この先の道もきっと、いろいろと曲がりくねり、分かれているんだろうなぁと思います。
今日この日に思ったことが、来年の今頃、別のことに変わっているかもしれません。
それでも、ひとつひとつがつながることを経験した今ならば、それも必要なことだと安心していられるような気がします。
あるものをいかしたい自分を見つけ、ブログをお引越しし、書き続けることをツールにして、この一年を過ごしてきました。
この場に来て、読んでくださったかたがたには、感謝しかありません。
どんなことを届けることができたのか、分かりません。
それでも、読んでくださるかたにとっても、この先の何かにつながることを想像しながら、続けていこうと思います。
2022年、本当にありがとうございました。
来年もどうぞよろしくお願いします。
最後まで読んでくださってありがとうございます。
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